コメント1: これからの「家族」観と心理学の役割

山下清美 (専修大学ネットワーク情報学部)

ようやく日本の社会の中でも、「家族」というスタイルが自由になってきた。「家族」として一緒に暮らす顔ぶれが、結婚という形をとらないカップルであったり、子どもを持たない夫婦であったり、血縁のない親子であったり、友人どうしであったり、シングルであったりしても、少しもおかしくない。また、ライフサイクルのさまざまな段階で、「家族」の状態は急激に変化する。単身、あるいはカップルだけの、個人の自由度の高い家族の時期、小さい子供を中心とした家族の時期、それぞれが外の世界と積極的に関わりを持つ束縛の少ない家族の時期、ふたたび家族として向き合い支えあうことが必要になる時期、各時期に最適な家族のあり方というものがあってよい。あるいは、平常時と緊急時、つまり、特に支えあいが必要のない状況と、支えあいを是非とも必要とする状況とに、柔軟に対応できる家族、という考え方もできるだろう。

従来の核家族のような、夫婦や親子を標準として「家族」を考える、という価値観にこだわる必要はなくなりつつある。家族が個人化している、という指摘があるが、そもそも発想が逆で、家族は個人が集まっていると考えればよい。「家」という場が、いつでも家族が一緒にいる物理的な場所である必要もない。家族どうしが、相手のことをすべて知っている必要もない。そういう発想で家族をとらえてみたとき、わたしたちの生活や社会に変化をもたらす科学技術は、家族のつながりを希薄にしたり疎外したりするものとしてでなく、家族のつながりの自由度を増やし、物理的な距離とは異なる家族間の距離を実現するものだと考えて、評価し吟味していくことが必要となる。

重要なのは、家族がいつも一緒に居ることではなく、必要なときに一緒に集まれることであり、何もかも知り合っていることではなく、大切なことを共有していることである。出会いや共有した時間の記憶、人と人としての信頼関係、悩みや困難についてサポートしあえる関係、そうしたものを維持し確認できることが、家族の存在意義であり、家族のつながりを支えるものになるだろう。

このような家族間のつながりを生成したり確認したりするものとして、科学技術は家族をサポートしていく必要がある。心理学などの人文社会科学の役割は、多様な家族像を提示し、そこでの人間関係やコミュニケーションにとって役立つ科学技術のあり方を提案し評価していくことであると考えている。